日本の人口は2006年をピークに減少していく。人口が減少していくなら、一人一人の生産性を高めるとともに、同じ人口の中でより多くの人が働くことが重要だ。それなのに、1990年代以降、就業率(15歳以上人口のうちの実際に働いている人の割合)は低下している。 人口減少を前に低下し続けた就業率 図は、バブル以前から現在までの就業率を見たものである。太線にあるように、就業率は1992年の62.6%をピークに低下し、2003年と2004年に57.6%まで落ち込んだ後、足元でようやく上向きつつある。 もし、就業率が92年のピークのまま維持されていたならば、15歳以上人口に就業率を乗じた就業者数は6,890万人と、現在より534万人も多かったはずである。これは、現在の就業者6,356万人の8.4%にあたる。 もちろん、高齢化で65歳以上の人口が増えているのだから、これまでと同じ就業率を維持するのは無理だという議論もある。そこで、年齢階層ごとの就業率がそれぞれ92年の値で一定だったと仮定して就業者数を求めると、2005年には6,610万人となる。こちらの数字でも、現実の就業者数よりも254万人も多い。 現在の就業率が、92年から低下していなければ、254万人から534万人の就業者を得られたことになる。
就業率低下の主因は経済停滞 では、就業率はなぜ90年代に低下したのだろうか。それは90年代が不況で、人々が働く場所を探すのが難しかったからにほかならない。全体のワラント の大まかな変化をみると、80年代前半の中成長期にはわずかに低下し、80年代後半のバブル経済期に上昇した後、90年代の低成長期に大きく低下している。さらに、2002年以降の経済回復期に入ってやっと下げ止まり、上昇に転じている。 本欄の第40回「若年失業は本当に構造問題なのか」では、若年失業率の上昇を社会問題、構造問題と解釈することは基本的には間違いだと書いた。若年失業率は、経済全般の状況とパラレルに動いているからだ。就業率も経済情勢とパラレルに動いているのだから、就業率の低下もまた、経済停滞によって起きたものといえる。 不況下でも上昇していた25-34歳女性の就業率 構造問題を考えるならむしろ、就業率には注目すべき別の外為 がある。図には25-34歳人口の就業率も示している。他の年齢での就業率が全体の就業率と同じ動きをしているのに対して(他の年齢の就業率は、図が見にくくなるので省略している)、25-34歳の就業率だけは90年代でもわずかながら上昇している。 このくりっく365 を考えるために25-34歳の就業率を男女別に見ると、男性は不況によって就業率が低下したのに対して、女性の場合は不況にもかかわらず90年代も一貫して上昇してきたことがわかる。両者が相殺した結果が、25-34歳全体としてのわずかな就業率の上昇だったのだ。 15-24歳の若年就業率は、全体の動きと同様に低下したが、その兄貴・姉貴分の25-34歳の就業率は上昇している。25-34歳の女性は、経済停滞の中で、必死に仕事を求め、働いていたと言えるのではないだろうか。 女性の社会進出の高まりは、日本社会で確実に広がっている現象だ。長期の経済停滞が終わり、男性の就業率が回復すれば、女性の就業率の上昇トレンドと相まって、男女合計しても就業率の上昇傾向が鮮明になってくるだろう。すなわち、就業率は上昇し、人口減少社会の労働力不足という問題をいくらかは軽減してくれるはずだ。
石油価格の高騰にもかかわらず、日本の経常収支の大幅な黒字が続いている。外為 はなんとか立ち直ってきたが、それでも米国経済の方がずっと好調だ。日本の実質経済成長率は2005年にやっと3%弱になったところなのに対し、経常収支が赤字の米国は1990年代以来3%以上の成長を続けている。黒字国の日本は豊かではなく、赤字の米国が繁栄を謳歌(おうか)している。 経常収支が黒字であり、かつ円が国際通貨でない状況においては、日本はドルで対外債権を持つことになる。ところが、ドルは金の裏づけを持たない紙切れにすぎず、日本がいくらドルをためても、その価値は減価してしまう。だから日本は一刻も早く黒字を減らし、自分のために使うべきであるという説がある。働いてためこんだ日本人が損をして、働いている以上に消費を楽しんでいる米国人が得をしているのはおかしい。日本は、不正義なメカニズムに絡めとられているのだという感情には根強いものがある。 経常収支の黒字とは海外への投資である 経常収支が黒字であるとは、日本が海外に投資をしていることを意味する。経常収支とは、輸出(サービスを含む)から輸入(サービスを含む)を差し引いたものである。もしこの差がマイナスであるなら、どうやって輸入代金を払ったのだろうか。家計の場合と同様に、支出よりも収入が少なければ借金をしたに違いない。経常収支が黒字であればこの逆で、海外にお金を貸しているはずだ。したがって、経常収支が黒字であるときは、海外に投資をしていることになる。 日本の経常収支が黒字であれば、必ず海外に投資をしており、海外の資産を持つことになるが、それがドルという紙切れまたはドル建ての海外資産でなければならないということはない。だが、日本の持っている海外資産の大きさから、これをドル以外の外貨建ての資産で持つのも難しい。そこで、ドル建ての資産を持つと損をするという議論が盛んである。 しかし、ドルはただの紙切れではなく、米国や世界中のものを買える価値ある紙切れである。その紙切れ建ての資産に投資することが、日本に投資することや金を持つことに比べて必ず損だという根拠はない。米国が無分別に紙切れを刷ればインフレになってドルが減価するが、同時に金利も上がるからだ。 実際、海外投資に嫌悪感があるとしても、無理やり国内に投資をした結果は悲惨だった。公共投資を膨らませてみても、無駄な公共施設の山と財政赤字をつくっただけだった。
根拠がない海外投資惨敗説 自国の債券と外国の債券を長期に持ち続けた場合、為替の損失は金利差で埋め合わされ、得も損もあまり大きくないのが普通である。現実はどうだったのかを見てみよう。為替も金利も株価も金価格も大きく動いてきた。安いときに買って高いときに売れば得をしていると言い出すときりがない。図は、日本の黒字がかなりの額になった1980年に、100円をドルに換えて、米国債、米国株インデックス、金に投資して毎年、円に再交換した額と、日本国債、日本株インデックスを買った場合の額とを比べたものである(株の配当は考慮していないので、株は図の動き以上に利益があったことになる)。 年によって違いはあるが、2005年時点では、米国株に投資した場合が一番得だった。国債の場合は、米国債を持っていると日本国債を持っているよりも損だった年が多い。米国の金利は高かったが、それ以上に円の上昇が大きかったからだ。金を買った場合が一番悲惨だった。 もちろん、これは過去の実績で将来どうなるかは分からない。しかし、経常黒字をため込んで海外投資をしたから損をしたという主張には根拠がない。
宗教音楽(しゅうきょうおんがく)とは、 宗教的な行事・儀式の一部あるいは背景として演奏される音楽のこと。つまり、礼拝(典礼・奉神礼)のための賛美歌や聖歌、祭礼などに用いられる音楽など、宗教的な実用音楽である。 宗教的なことを題材とし礼拝とは別に半ば独立して演奏される音楽。例えば、オラトリオや受難曲などのキリスト教的題材を元にした楽劇など。宗教的な芸術音楽である。
キリスト教 詳細はキリスト教音楽を参照 具体的には、賛美歌や聖歌、ミサ曲、モテット、カンタータ、コラール、オラトリオ、レクイエムなどが挙げられ、それらはミサ典礼文や聖書に基づいたテキストによって構成されている。 古くは作曲家はテキストに基づき、限られた音形のなかで曲を創造していたがルネッサンス、宗教改革を経て楽曲が飛躍的に豊かになった。現在の西洋音楽はキリスト教音楽から発達したといえよう。 キリスト教(西方教会)の代表的な宗教曲としては、グレゴリオ聖歌、バッハの「ミサ曲 ロ短調」、「マタイ受難曲」、あるいは、ヘンデルの「メサイア」、あるいはモーツァルトの「レクイエム」などが挙げられる。 なお東欧に広がる正教会の聖歌については、西欧の影響を受けつつも、独自の教会文化の基盤の下に発展した部分も少なく無い。特に正教会では現在に至るまで楽器の伴奏が原則として禁止されており、無伴奏聖歌が発展する事となった。正教会聖歌の著名な作曲家としてはボルトニャンスキー、チャイコフスキー、アルハンゲルスキー、ラフマニノフ等が挙げられる。
仏教 仏教における宗教音楽としては、声明(しょうみょう)や御詠歌や仏教讃歌などが挙げられる。ケージの偶然性の音楽は禅宗からの思想による宗教的技術による音楽である。
神道・儒教 神道、儒教における宗教音楽としては、神楽、雅楽などがある。